kame’s blog

大切なこと

被害者意識と空気読めってやつ

被害者意識って、本当に厄介で
実際問題でなにかしら被害にあってるわけだから
本人が悪いって言うわけでもない
けど
○○のせいで!って怒って
そこから抜け出せなかったり

もしくは悪いことは、ただしてやらなければ‼なんて
自分風味に変えようとしたりって
そういう被害者意識は、自分の見えてる世界が全てと思っているんだろう

なんかおかしい


最近ほんと思う
権利を主張するあまり、攻撃になってるのに気づかない人の多いこと
そういう人は自己中な部分が強いので、周りを見渡すことなく
迷いなく攻撃、意見を言う
正しい病みたいな感じ

喫煙問題は、現代の魔女狩りにも思えてきたし
学校の様々な問題もモンペとか言っていられないくらいで教師への負担は相当だと思うし
先日ひらかれた学校の懇談会で担任の先生が謝罪したり、自分が拙いばかりにと何か一年間いろいろあったのだと思う

発達障害を騒いでいる、あぶり出すように探してる風潮もそう
芸能人の誰それが発達障害とかの情報がすごくて
エゴイスティックな周りからの理想像を演じきれる人のみ普通なら
逆に普通になんてなったら憂鬱になってしまう
人から望まれた姿のみで生きていたらどこかに歪みができたり
いつか疲れ果ててしまう

みんなだれだってでこぼこなのに


空気読めってやつも
妙な村意識のような気持ち悪さ感じるし
そこで失態起こす人を探してる気がするくらい
いつもいつも誰かの文句ばかり

人と人の適切な距離感と干渉の度合いが崩れているのと
自分だけが大変なわけではないという考えができない狭小さ
言わなきゃ損するみたいな社会の流れ

もちろん、そんな人ばかりじゃないけど
穏やかな人はあまり口を挟まないので
目立って来ないから
どっちかっていったら
自己中な意見が主流に見えてしまう

誰もが意見を言える発信できる時代における弊害なんだと思うけれど


被害者意識にはもうひとつ
意見を言えない被害者意識があって
それは相手を少し思いやって言えない場合と
自分を出す勇気がない人の場合

それは基本的に何かのせいでこうなったと
原因をいつも外側に見つけては言い訳をする人で
そこに留まってしまう
本当に辛かったことを何度も思い出しては怒って
怖れて追体験を繰り返してる

相手を思いやって言えなかった人も
優しく穏やかな人だけど
自分を守る力が弱い
自分を守れなきゃ誰も守れない

仏陀は、人の世は苦であると言うけど
まさにそうだと思う

それもこれも清濁合わせのみ
そのなかでどう生きるのか
これは何歳になっても難しいし
清濁合わせのめる軸のしっかりしたお年寄りになりたい

住宅事情は、地に足をつけて生きられないような自然を感じないもので
四角の大きな箱を区切って入れられたような状態だし
その場その場での集合意識は
上にも書いたように
表に出やすい自己中心的な意見が主流になっていたりする

一過性で、きっとそのうち静まって行くのだろうけど
そっちに乗らずに生きている人がいたら
今は少しだけ苦しいかもしれない

わたしも同じです(笑)
でもそれでも良いって思います

自分のできること、楽しいと思うこと
目の前の事
それを大切に生きていれば
きっと大丈夫