kame’s blog

大切なこと

無題

どうして、自分のなかで不本意なものを受け入れることを忍耐強いとか
器が広いとか
美徳として賞賛されるんだろう?

もちろん、一時的に感情的になってるときは
ひとまず考えて次の手を考えることも大事で
その結果、耐え忍ぶ道もあるかもしれないけど
それは本人の決断

不本意も飲み込み、受け入れること
そうすることが良いことだよ‼なんて
その場にいない、本人でもないのに言っちゃったりね
その結果いわれた方は
ただでさえ苦しんでるのに
自分はダメだと責めてしまい
何重にも苦しむわけで
むやみに人にそんなこと言えない
そんなに自分は偉くない

そうやって、自分がどう思うかどう感じるかより
他人から見てどうか、一般的にはどうかに視点を持っていってしまい
自分の軸がない大人になっちゃうんじゃないかな
特に女の人に多い

今はだいぶ時代が変わってきて
外側になんて自分を合わせてたら、訳がわからなくなっちゃう
自分でどう思うか考え、それをする決断は自分であるとわからなければ
無責任な大人も増える

今は正しく生きようと思って真理だ自己啓発だと探求する人が増えて
それをお手本に生きてる人は、一見すると穏やかな良い人なのに
ちょっと違うテンションの明るさとトゲを持ってる
自分の内にないものでも
丸のみに信じ込んで
良いものだと人に薦めなきゃその価値も感じてないのに盲信する

その結果、自分でどうしたいのか
自分で何がほしいのか
そんなものすら見失ってる

お手本も見本も、自分で腑に落ちなければ
そうしなきゃならないってわけでもないのにね

不安で心配で迷子なんだよね、やっぱり